ある日ふと気がつくと手足が小刻みに震えて階段を下りることができませんでした。手すりに掴まってそろそろと下りていくと心臓の拍動が異常に早いことに気がつきました。受診するとバセドウ病という甲状腺の機能が極端に亢進する病名がつきました。医師から前兆があったはずだと言われて振り返ってみると身体からのサインがたくさん出ていました。1日6食摂っているのに徐々に瘦せていたこと、息切れが頻繁に起きていたこと、訳もなく気持ちが急いて焦りや焦燥感に加え、ちょっとしたことで感情の爆発が起きていたこと、顔色が悪いよと方々で言われていたことなど。
これだけのサインをすべて「なかったこと」にしていたのでした。
(朝晩のヨガ体操によって、身体に現れている不快感やこころのわだかまりを即席でその都度スッキリさせていたからだと気づくのには、発病後2年くらいかかるのですが)

投薬治療の効果が出始めるまで家事も運動も禁止となり、ヨガ体操ができなくなったわたしは身体の不快感を解消する他の方法を持っていませんでした。
完治はない病だと聞かされ落ち込み、病の影響で顔貌も変わり、ヨガの講師なのに病気になるなんて!と様々な思いが再び渦巻きます。すがる思いでヨガの学校で学んだヨーガスートラや書籍を読み直していくうちにヨガの大切なエッセンスを見落としたまま進んできたのだということに気がつきました。

そんな状況でフェルデンクライスメソッドに出会います。
最初に「ヨガの人は身体が硬い人が多いのよ」と言われ意味が分かりませんでした。
まがりなりにも長くヨガに関わってきて「身体が硬い」とは思いもしませんでした。
ワークがはじまってしばらくしてその意味がわかってきたのです。
「力を使わず、筋肉の動きは最小限で動いて」と言われると全く動けないのです。
身体の使い方にあそびやゆとり、多様性がなく、動きに対する発想の柔軟性に乏しく、さらに動きの質という観点も全く持っていませんでした。
ワークではわかってもわからなくても、考えたこともなかったことに次々とチャレンジしていきます。
先生は答えを言いません。自然と身体の内側から出てくる動きをひたすら待ちます。
筋肉に負荷をかけたり反対に弛緩することで気づいていくヨガの動きとは異なる方法でした。動きはより小さく外目に見て動いているかどうかわからないくらの省エネで動きます。

できるようになることや、完成や完璧を目指すとすぐに力みが生まれ内的な感覚が薄れて途切れてしまいます。
ワーク中は身体に敬意を持ちすべてを任せます。でもこれがとても難しいのです。意識していても思いが身体の流れをせき止め思いの通りにコントロールしようとします。すぐに力みを伴った強い動きになります。
このワークはわたしの内面や筋肉に深く刻み込まれた思考パターンや思い、記憶をひとずつ確認していくのにとても有効でした。
「自分を苦しめていた原因」として手放すのではなく受容の方向になることにも驚きました。身体を深く観察することによって傷や悲しみ、苦悩に対する「理解」が受容につながっていきます。

悩み苦しみ、不調や不具合は「消すもの、無くすもの、解消するもの」ではなく「生きていればいろんな事情があるよね、無理なくいけばいいじゃない」とやわらかく含んでいくことだということを今も引き続き学んでいます。