幼少期は家庭内の不和と父親からの「ちゃんとしなさい」といつも言われていた記憶が強く残っています。大声で叱る父への恐怖心から睡眠時間以外は全身の神経を張り巡らせ空気を読んでいました。人の表情の変化やこころの動きにも機敏に反応し、相手がまだ気がついていない本心のようなものまで察する癖はいまもそのままあります。
「ちゃんとする」をがんばっていたわたしは、善悪にこだわるようになり世の中や自分自身、他者に対して不信感や嫌悪感を抱くようになっていきます。
そんな生い立ちによって確立されていったキャラクターでしたが、じわじわと生きづらくなっていきます。親元にいると幸せになれないような気がする・・・という思いが強くなり、親との攻防戦の末に18歳で進学のために上京しました。親からの過干渉や叱責、支配から離れて、素晴らしい師と仲間、様々な人との出会いがたくさんあり、凝り固まった価値観から解放されこころが徐々にゆるんでいきます。

20歳の頃卒業制作のためインドを訪れました。
出発前に恩師から渡された「バガヴァッドギーター」をガンガーのほとりで読んでいると突然胸が熱くなり涙が出ました。内容について深くわからないけれどこの本はわたしに必要だと感じたのです。ヨガとかかわりのある本だとは知りませんでしたが、この出来事がヨガとの最初の出会いだったように思います。

2人目の出産後、原因不明の体調不良と鬱に悩まされるようになりました。
「完璧に子育てをしなければダメだ」と思いが強く、子育ての荷が重過ぎると感じる毎日。責任という言葉だけが重くのしかかり、こころの奥底にずっと持っていた焦りや閉塞感、息苦しさを「母親という役割」に没頭することによって封じ込めていきます。
周囲から「少し子育てから距離を置いたほうがいい」というアドバイスもあり、こどもたちを保育園に預けて仕事に復帰することにしました。
しかし仕事に復帰すると今度は時間のやりくり、仕事への完璧主義も加わり心身ともに消耗していきました。

辛いけれど何か辛いかわからない。
何とかしなくてはこのままではマズい、でもどうしたらいいかわからない。
そしてわたしのこの複雑な心境を理解できる人が周りに誰もいない、突破口を教えてくれる人もいない(今振り返れば当たり前のことですが)

気がつくとわたしは自分の手足があるのかないのかわからない、自分が本当に生きているのかどうかもよくわからないという状態になっていました。